2018.10.08更新
デジカメ買いました。
写真を撮ることが昔から好きで、飽きっぽい自分ですがこれだけはずっと楽く続けてます。ちゃんと趣味と言える唯一のものかもしれません。
ただカメラ自体にはあまりこだわりがなくて、学生の頃にフォルムが気に入って買ったOLYMPUSのフィルムカメラOM-2をずっと使ってました。
それも3、4年前に露出計が壊れてしまって、一応デジカメに乗り換えたのですがどうもしっくり来なくてしばらくカメラ難民してました。
そんな中久々に気になったのがSIGMAのdp quattroというコンパクトデジカメです。
どういうカメラかざっくりいうと、
・感度400以上はノイズ、色変しまくる
・シャッター切ると記録に数十秒固まる
・液晶画面からピントが合ってるか判断困難
・電池の消耗が激しすぎる
・手ぶれ補正なし
・単焦点(ズームなし)
という、手間のかかる側面を上げればキリがないカメラなのですが、撮った写真を見るとそんなことはどうでも良いと思えるくらいの結果がかえって来ます。とにかく見たままの映像を鮮明に写し撮ってくれるんです。
珍しく気になって、その構造や設計思想なんかを調べたりしてたのですが、時代の流行りからいくら遠のこうとも、独自の思想を貫くSIGMAの設計姿勢に完全にやられました。カッコイイ!
しばらく使って感じたんですが、フィルムカメラで写真を撮っていたときの感覚ととても似てるんですよね。デジカメだと気軽に何枚も撮れるので写真がメモになっちゃってたんですが、このカメラだとそうは行かないので、ゆっくり対象と対峙して本当に残したいと思ったところだけ切り取る感覚。その後、手ブレしないように露出アンダー目に撮ったデータを、その時の雰囲気を思い出しながらあれこれ調整して仕上げていく感じ。自分にはぴったり馴染みました。
やっと難民脱出できそうです。
近頃は物事の手間のかかる部分がごっそり引っこ抜かれていろんなものがお手軽簡単化されていますが、そういった利便さの追求が進みすぎてしまうと、その行為自体がが記憶として残りづらくなってしまって、なんだか寂しい気がします。手間がかかるからこそ、試行錯誤して結果を得た満足感、その不便を乗り越えた自信みたいなものが後に懐かしい思い出になるんですよね。ただその利便性の恩恵に与って生きている部分も大いにあるのですべて違うとは言う話ではありませんが、そういう記憶に深く残る体験ができるものが残される猶予も大いにある世の中であってほしいと思っています。
最近写真家の鈴木さや香さんが立ち上げられた「写真と暮らし研究所」という活動がまさにそういった話を取り上げられていて、共感するところが多かったです。
自分の設計感についても通じるところがあるのですが、お題から話が大分それてしまうのでまた改めてまとめたいと思います。
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