2024.11.19更新
昨日は関ケ原へ。
せきがはら人間村、生活美術館の敷地(cafemiraiの北側)に彫刻家林武史さんの「水田」が設置され、そのお披露目と記念講演会に伺いました。
傾斜のある黒ボク土むき出しの地面に並べられた薄い石板の列は非常に存在感があり、いろいろと思いを巡らせられるこれまたすごい作品だなと感じました。ただ、以前東京芸大の展示で見た感覚とはだいぶん異なる印象をうけました。
講演会では元愛知県立美術館館長の市川さんが作品について解説してくださいましたが、その中で林さんの作品が表現している「地面に立つ」という行為についての原初的な不安定さ(ゆらぎ、と表現されていました)についての話を伺い、芸大の展示で感じた薄い石板が立ち並ぶ姿の不安定さが思い出されました。
今回の展示で異なる印象を受けたのがまさにその部分で、芸大の無機質な展示室の平滑な床に置かれた不安定さや異質さみたいなものが、この土の上に置かれた時には周囲の民家や舗装道路、木々や雑に生えた草と調和が取れ始めていて、安定し、なじみ始めているんだと感じていたのだと思います。
その展示する場所との関係をどう考えられていたのか、林さんの講演に期待して拝聴させていただきました。林さんのお話はとても明快で、作品がどのように構成されて組み立てられたかについてとても分かりやすく解説してくださいました。作家さんの話は難解、という偏見を勝手に持っていたので目からうろこでした。。
ただそれは表面的な部分であり、深いところの考えは当然あるのだと思います。その部分に思いをはせられるのが抽象作品の面白さですね。
話しの中では場所のことについても言及されていて、この場所に設置したことで作品がまた新しい姿を見せてくれた、ということでした。傾斜があることで石板の列が波のように見えたり、伊吹山の山並みとつながったり、雨が当たることで石肌に深みが出たり。なるほど、そういえばモノ派の作品は様々な物や人や場所との関係を表現されていて、むしろ展示室よりもこの有機的な事物にあふれたこの場所こそがより作品が生きる場所なのではないか、と一人勝手に納得してしまいました。
もとは水田だった関ケ原合戦の跡地にこの作品が置かれたのもまた重要な関係となりそうですね。
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